東京連合会では2月23日に書道博物館開催の「生誕180年記念 呉昌硯の世界」のギャラリートークに参加してまいりました。
参加者は埼玉県連合会から3名、東京連合会から11名、そして評議員の小野春水先生も参加して下さり総勢15名でした。
恥ずかしいのですが呉昌硯という中国の書家を私は知りませんでした。
しかし学芸員の中村信宏先生のユーモア溢れるお話をお聞きしているうちに詩、書、画、印の四芸に優れた清代最後の文人と言われる方だと理解しました。
館内に入って最初に目にしたガラスケース、そこに展示されていた石鼓文│後勁本は戦国時代・前五~前四世紀のもので、呉昌硯の死後に出てきたそうです。
呉昌硯が生きているうちに発見されていたら、どんなにか喜んだことでしょう。
とても価値が高く、そして本当に素晴らしいと中村先生も絶賛されていました。
石鼓文は、全部で10個の丸い石に詩と思われるものが記録されていて、王の狩猟の光景や神に祈りを捧げる内容のものもあるそうです。
しかし10個の石のうち6個目は石臼、8個目はつるつるで、完全には解読出来ないそうです。
呉昌硯は晩年になるまで石鼓文の臨書を続けて臨石鼓文四屏を書きました。
画数が多すぎて曲線も多く、縦画は長すぎて、とても真似が出来そうもありません。
しかし何とも魅力的で見飽きることのない、物凄いオーラを感じます。
画数の多い文字は詰めて、画数の少ない文字は隙間を作るのだそうです。
呉昌硯は日本人とも親交があり、日下部鳴鶴の墓碑銘は篆書で「日下部東作徳配琴子の墓」と揮毫された書が刻まれているそうです。世田谷の豪徳寺にお墓があるそうですので墓参を兼ねて見に行きたいと思います。
呉昌硯は自らの芸術を「篆刻第一、書第二、画第三」と述べていたそうです。ガラスケースの中の印もとても素晴らしく見入ってしまいました。
その中には書道博物館を創設された中村不折氏(鈼太郎)の印もありました。
近代の芸術家達が海を越えて友好を育み、切磋琢磨していたことに温かいぬくもりを感じました。
書道博物館には、文化書道東京連合会で何回もお世話になっております。
今回の「呉昌硯の世界」も特別にギャラリートークを引き受けて頂き感謝です。
雨の降る寒い一日でしたが、とても楽しく有意義なひと時を過ごすことが出来ました。
矢野玉記
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